因果応報な日々

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目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星を見なさい。皆を導くあの星々が、お前の星だ

c0048467_23555320.jpg 『ナショナル・ジオグラフィック』5月号を読みました。
「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」イエスがユダに語った言葉

(「イエスの肉体は真のキリストとは別個の存在です。物質である肉体を取り除くことで、真のキリスト、つまり内なる神が解放されるのです」ユダの福音書の翻訳に当たったマービン・マイヤーの言葉

キリスト教グノーシス主義|ウィキペディア

キリスト教グノーシス主義の多くは「仮現説」を唱えた。(物質は悪であるから)イエスは物理的な身体を持っておらず、目に見えるイエスの肉体は幻影で、磔の刑も肉体に受けたものではなかったと考えるものである。

 この2つを読み比べて感じるのは、イエスの考えは、グノーシス主義的だったということか?である。しかし、あまりにもグノーシスに都合のいい話であり、これをすんなり受け入れるにはちょっと抵抗がある。
【新説】ユダは裏切ってなかった?【発表】

735 :名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 01:41:01 ID:f9MoqWIf
おや、言ってるそばから>>733のような考えが。
結局「ユダの福音書」やグノーシス派が導く先は、
偽善的な苦行や、殉教への親和性、
さらに解脱を求めての自殺、精神の荒廃など、
およそ「御霊の実」とはほど遠いものです。
もちろん内容的な吟味も古代の諸教会であったでしょう。
いずれにしても、このような書が「偽書」となったのは当然であり、
そこに「神の導き」があったことを信じることができるでしょう。

 敬虔な信者ほど、信じられない、信じたくないのでしょう。しかし、『ナショナル・ジオグラフィック』誌にも書いてあるように、キリスト教は「教団がユダヤ教の一分派という地位から脱却をはかる過程で、イエスの捕縛と処刑の責任をユダヤ民族に負わせたほうが都合がよいと考え、ユダをユダヤ人の典型として描く傾向を強めていったのだった」のであり、「グノーシス派のような神秘主義者は、常に教団組織の怒りをかきたてる存在です。自らの魂の内部に耳を傾け、そこに神の声を聞く神秘主義者にとって、聖職者という仲介者は無用の長物ですから」と、聖書研究者マービン・マイヤーが語っているように、自身の存立にもかかわると危機感を抱いたエイレナイオスが、グノーシス派とユダの福音書を糾弾したわけであり、それを「神の導き」と呼ぶかどうかは非信者には微妙なところであろう。

 異端者の排除と弾圧の過程でユダの名誉が傷つけられたのでとするならば、それを回復することはまっとうなことだと思うのだが。もっとも、今まで信じてきたことがひっくり返されるのだから、なかなか難しいか。
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by seiwadai_walker | 2006-04-30 23:56 | 読書
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とりあえず何か書き綴ります…


by seiwadai_walker
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