「孤独が恐ろしいのは孤独そのもののためでなく、むしろ孤独の条件によってである」三木清
せいわだいにゅ~す第28号より
清和台自治会にも年毎に高齢化が進んでいます。
住民約15,000人の20%約3,000人が65才以上の方々であり、その中でお一人暮らしが約200人近くおられます。
2年前に1件、そして今年1月、2月各々1件、孤独死が発生し、いずれも発見まで約1週間かかっています。
近所で孤独死が発生していたとは、全然知りませんでした。痛ましい限りです。昭和44年に開発された清和台もメインの住民が団塊の世代ですので、この問題はさらに深刻化していくことと思います。絶えず若い世代を取り込んでいけばいいのでしょうが、開発も一巡して余地がありません。ファミールタウン清和台(参考1←ここに「大規模ニュータウン内の閑静な住宅街では「清和台」というブランドが有るほどの人気のエリアです」って書いてあるけど、そうだったの?,2)の開発で、若干は増えましたが。清和台南小の平成16年度の1年生は、2年生の約1.5倍に増えています(教育要覧【PDF】の11ページ)。とはいえ、高齢化のペースには程遠く、文字通り「老いる街」です。
住んでおられる高齢者や子ども達を近隣(向こう三軒両隣)の方が関心をもって見守って頂くことが一番の解決策になるという結論になりました。
おっしゃるとおりです。ですが、かくいう私も、隣に住んでる人がどんな人なのかまったく知りません。猛省したいと思います。
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。
三木清『哲学ノート』
by seiwadai_walker
| 2005-03-10 00:24
| 川西・清和台